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電卓の歴史

電卓草創期 その歴史のはじまり

Story 1 「電卓」開発以前

私たちが「デンタク」と気軽に呼び、誰もがひとつは持っているもの─あなたは、電卓にどんな技術が詰まっていて、どれほど急激な進化を遂げてきたかを知っているだろうか。デスクの上を陣取る大きな電卓が、飛躍的な小型化を実現する。そして草創期には想像できなかったほどの進化を遂げて今日に至っている。その歴史は、まさに革命であったと言ってもよい。
そもそも電卓とは「電子式卓上計算機」の略称。まず電子式卓上計算機のはじまりまでさかのぼりたいが、その前に語るべきは「電気式計算機」の存在である。『14-A』という型番で呼ばれるこの計算機こそが、カシオにより開発されたものだった。

Story 2 世界初・小型純電気式計算機の登場

Story 3 今日まで引き継がれるさまざまな機能

『14-A』に先立ち1954(昭和29)年に試作された純電気式計算機は、一切歯車を持たなかった。当時は歯車で動く計算機が主流であり、海外では歯車はモーターの力で動かす「電動式」計算機も登場していた。
電動式は歯車を高速で回転させるため、騒音を出すという問題があったのも事実。しかも部品の加工に高品質な材料と優れた技術が必要とされるという、高いハードルも存在した。
カシオが試作した電気式計算機は、すべて電気回路で処理することでこれらの問題をクリアする画期的な製品だったのだ。
カシオは試作機に改良を重ね、1957(昭和32)年には遂に純電気式計算機『14-A』の商品化に至る。

Story 3 今日まで引き継がれるさまざまな機能

Story 3 今日まで引き継がれるさまざまな機能

『14-A』は、当時の電話交換機などに使われていたリレー(継電器)を用いており、リレー式計算機とも呼ばれていた。『14-A』は現代の電卓と同じテンキーを備え、表示方式も現在の電卓と同様であった。「計算機といえば誰でもすぐにテンキーが思い浮かぶ人もいるだろう。しかし当時の計算機は、すべての桁ごとに数字ボタンが縦に並ぶ「フルキー」が常識だったのだ。
また表示窓が1つしかないデザインも独創的だった。その頃の計算機で「100+200=300」と計算すると、「100」「200」「300」とすべての数字が表示される。つまり3つの表示窓が必要であった。ところが『14-A』の場合、入力した数は消えて、最後に答えだけを表示する。現在ではごく当たり前であるが、当時の計算機としては極めて先進的であった。

Story 4 電気から電子へ-電子式卓上計算機の登場

Story 4 電気から電子へ-電子式卓上計算機の登場

リレー式計算機は、大手企業や研究機関を中心に普及していった。しかしカシオがリレー式で市場をリードする間に、技術革新の新しい波が押し寄せようとしていたのである。それは1962(昭和37)年のこと。英国のメーカーが、真空管を使った電子式計算機を発表したのだ。電子式は、リレー式に比べてはるかに高速で無音。しかも机の上に置ける大きさ=卓上サイズを実現するという、驚くべき進化を見せつけた。
世界初の電子式卓上計算機(電卓)登場を皮切りに、日本のメーカーも次々と開発に着手。電子式の研究を密かに進めていたカシオも、電卓開発を本格化させることとなる。そして 1965(昭和40)年に発売されたのが、『001型』と呼ばれる電卓だ。電卓として初めてメモリー機能を搭載し、歴史へ新たな1ページを追加することになるのである。

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